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アーダの最期のプレゼント

苦しくなるような記載がありますので、嫌な方は読まないでください。


アーダとの最期の夜

口の中の潰瘍がとても酷く、口の中をよく見てみると、

わかっていた以上に潰瘍が出来ていました。

6月に入ってから、急激に悪化しました。

ずっと気になっていたあれは、口の中の違和感だったんだ。

『ごめんね、アーダ。なかなか口の中が見てあげられなくて』と謝りました。

食べたいのに、口の中の痛みで食べられない。

でも、私の思いに応えようと栄養ドリンクを飲んでくれました。

それに砕いたステロイドを入れて。

泉先生が私に言ったこと『ステロイドを使うということは、決断するということ』とおっしゃったことをもう一度心に言い聞かせ。


アーダを抱きしめて、お互いに見つめあって話したこと。

きっとアーダはわかってくれたと思います。


私ももうその時が近いと確信していました。

水分は取ってくれるのですが、おしっこが出ない状態が続き

気持ちもしんどく、身体もしんどくなった私は母に少し見てもらって

早い時間に横になることにしました。というよりは、もう体が言うことをきかない状態でした。

アーダは少しでも風通しがよく、そして、お外が見えるようにと

ちょうど居間の神棚の下、廊下に面したところにお布団を敷いて寝ていました。
私はその横に布団を敷いていつも寝ていました。

アーダの横で、アーダに触れながら寝ていました。

30分足らずの、二回の睡眠が取れました。

するとアーダの嘔吐で驚き起きました。

始末済ませると、母が

『今、アーダがじわじわと○○ちゃんの顔のところに自分の口を持っていったのよ、お母さんにくっ付いてキスしに行ったのよ』と話してくれました。

そのとき私の頭の中は『モモと同じだわ。もう時間がないんだわ』と
アーダの最期の愛情表現を感じるよりも、悲しみガうねりのように襲い掛かり、動揺していました。
でも、母にはそれを見せるわけにもいがす、動揺を隠し、
『そうそう、モモも私におでこをくっつけてきて甘えたわね』なんて言って、アーダに声をかけてあげることも出来なかったのです。情けない。

それから母と交代してずっとアーダのそばにいました。

どこかに水がたまっているのか、呼吸するたびにボコボコと音がします。

お腹もぎゅるぎゅるいいます。

体中を撫でて、精一杯の手当てをしました。

アーダと二人だけの時間でした。

アーダがじっと私だけを見てくれていました。

とてもしんどそうなのに、とても暖かい目で私を見ていました。

二時を回った頃、呼吸がとても苦しくなりました。

夕方からずっと首を伸ばしたままの姿勢をとっています。

相当呼吸が辛いのだと思いました。

『アーちゃん、ありがとう。楽になっていいよ。よくがんばってくれたから』
『ママの所に生まれてきてくれてありがとう』と何度も言いました。

母に『アーダの様子がおかしいから起きて』と言って着たもらった途端

激しい嘔吐。それはそれは激しい嘔吐でした。

アーダの身体にたまったありとあらゆる水分が吐き出されたようです。
(2日の診察のとき、食べる量が減ってるのに体重の減りが少なすぎる。肺水腫か、胸水がたまっているのかもといわれました)

痙攣も来ている様で、あまりの激しさに私は絶叫していました。

気管虚脱、腎不全、リンパ腫、アーダになんでこんなに何重苦を味あわせるの! 食べたいのにこんなお口じゃ食べられない、飲めない、何でアーダだけにこんなに苦しめるの・・・・・・とアーダを抱きしめ泣き叫んでいました。アーダは何にも悪いことしてないのに、なんで・・・・なんで・・・・




続けざまの激しい二度の嘔吐が終わり、落ち着いたところで始末をし、アーダを綺麗に拭いてあげました。

それからずっと母と二人で見守りました。ずっと撫でていました。

次第に息が穏やかになって、呼吸が少なくなっていき 鼓動が止まりました。 私が抱いてやるよりも、首を伸ばして寝ている方が楽そうだったので、ずっとそのままで撫でていました。寝ているアーダを抱きしめるように。そして、鼓動が止まってから抱き起こし抱きしめました。

そのとき、アーダのキスが、私への最期のプレゼントだとはっきりとわかりました。あのとき、抱きしめてあげればよかつたのに。ごめんね。


モモとアーダ、本当に可愛い、やさしい子と出会えて、過ごせたことを感謝しています。

写真は6月3日にアミィかあさんが撮ってくれたものです。
120603a.jpg
120603b.jpg




4月から、毎日がいっぱいいっぱいで必死だったので、なかなか写真を撮る余裕もなかったので、本当にありがたい一枚なんです。
最期の最期まで、生き切ってくれたアーダの記録ですから。

何人かのお友達から、『生ききった』とコメントいただいて、まさしくそうだと感激しました。

アーダが最終的に診て頂いた、「先生が頼りなのです』と、とても厳しい状況で診察していただいたのは、地元の『泉動物クリニック』の泉院長です。ホモトキシコロジーの草分け的なDrです。アーダがぎりぎりまでお散歩が出来たり、食欲があったり、症状が緩和されていたのは、この療法の効果があったように思います。それと、ずっと水分は水素水 H4Oを飲ませていましたが、これもとてもよかったのではないかと思っています。
それと不思議なことに、アーダは泉先生のところに行くときは呼吸も安定し、発作も起こさず、いつもの病院のようにエアコンガンガンに効いてませんが、暑いくらいでしたが治療を受けることが出来ました。
私はすっかり忘れていたのですが、先生がアーダのカルテを見つけていました。アーダ、3歳までは泉先生に診て頂いていたのでした。なので、はじめに行った日に、元気に院内をうろうろと歩き回ったのかも?です。
アーダのことを毎回がんばっていると褒めてくれました。アーダもうれしかったようです。
でも、ある日には「ゴールデンやラブは我慢強いから、がんばるんよ。」とさりげなく、私のためにがんばってる、とうに限界は超えてるよ」と言いました。昔診て貰っていたときはまだホモトキシコロジー療法はされていなかったそうです。今年で10年目とおっしゃっていました。



アーダの最期のことはしっかりと覚えていて、記録しておかなければと思っていたのですが、ショックなことって忘れようとするんですね、人間って。
もっと時間に沿ってかきたいことがありましたが、記憶が定かでなくなってきました。

そうそう、葬儀もあって7日のレッスンもお休みしたのですが、アーダのことをとても好きだったおと君にお休みの電話をしたら、「え?」と言って黙ってしまったおと君。相当ショックを受けたことはその場でわかり心配していました。14日のレッスンに来て直ぐに、いつもの通り「おしっこ」と言ってトイレに行く途中にアーダの祭壇を見て一礼、トイレから出ると
長い時間アーダに手を合わせていました。後でお迎えに来たお母さんの話だと、相当ショックを受けてつらそうだったそうです。
何人かの生徒さんも手を合わせてくれました。
アーダ、幸せだね。みんながアーダのこと思ってくれて。


アーダを荼毘にふし、お骨あげをしたとき、アーダの前足の骨にはしみのようなものが沢山付いていました。他の骨にも。
それはひよっとすると、すでに骨髄はやられていたので、リンパ腫(白血病)
が骨にまで浸潤していたのかもしれません。
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